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貨幣経済と金融支配体制を考える<1> [Essey]

 まずは、歴史的変遷から、たどってみます。

1.貨幣経済の誕生

(1)「貨幣」の始まり
 もともとは「物々交換」をしていた時代に、その不便さを解消するため、世界各地で「モノの価値を表す」さまざまな素材を使った「貨幣」が考案されました。

 人類史上の各時代で、石、貝殻、金、銀、銅、木製や陶器製のものまで作られました。

 日本においても「絹糸」「紙」「お米」「古代中国(明や宋)の銅貨」「金の小判」や「銀の粒」などの貨幣が流通してきました。

 その後、世界の国々が貿易によって、世界的な取引を行うようになり、世界中で通貨システムが統一されていきました。

(2)「紙幣」と「コイン」による通貨システム
 現代の世界の国々で共通する通貨システムは「紙幣とコイン」となっています。

 「紙幣」と「コイン」による通貨システムは、中世ヨーロッパが起源となります。

 もともとは、価値の高い大事な「ゴールド」を、丈夫な金庫を所有する金庫番(当時の金細工職人や両替商)に預けることから始まりました。

 「ゴールド」を預けた代わりに、その証明書として預り証を受け取り、この「預り証」が紙幣となっていきます。

 やがて、いちいち預り証を持って金庫番へ行き、預けたゴールドを引き取って、ゴールドで商取引するのが面倒になり、人々は預り証で直接、取引するようになります。

 預り証でモノを買い、モノを売ったときに預り証を受け取るのが一般化し、「ゴールドの預り証」であったはずの「紙」が、通貨としての機能を持ち始めます。

 預り証だけで商取引が成立するようになると、預り証が「信用」となり、誰も金庫番のところに、自分の「ゴールド」を引き取りに行かなくなります。

 莫大な量の「ゴールド」を保有する金庫番は、「ゴールド」を預けていない人にも「預り証」を発行し、利子をつけて貸すようになったのが銀行の始まりです。


2.銀行の強大化と国の権力中枢の掌握

(1)銀行の強権化
 国王までが、銀行からお金を借りるほどの状況になると、戦争のたびに、各国の国王は多額の戦費を銀行家から借りるため、「戦争」は、銀行家にとって一番うまみのある事象となりました。

 もし、貸し付けた国王が、戦争に負けて借金を返せなくなれば、借金の担保である国王の財産・土地・建物・税金が銀行家のものになります。

 こうして戦争のたびに、莫大な財産を増やし続けて財閥化し、国王と対等以上になった銀行家たちは、王族と血縁を結び、貴族となっていきました。
(のちに「銀行家」が、国を動かして「戦争」を仕掛けるようになっていきます。)

(2)特権階級となった銀行家の権力中枢の掌握
 特権的な貴族となった銀行家は、さらに大きな権力をもち、実際の手持ちの「ゴールド」よりも、ずっと多くの紙幣を発行する権利を国王に認めさせます。

 つまり、何の価値の裏づけもない紙切れに価値をつけて、人々にどんどん貸し出す権利「通貨発行権」を手に入れます。

 ただの「紙切れ」をどんどん印刷して、人々に利子を付けて貸し出し、返せなければ、家、店、車、貴金属、宝石、家畜など価値のあるものなら何でも担保に持っていき、すべて銀行家の財産になっていきます。

(3)ロスチャイルドの新興
 世界で最初に、この通貨支配体制を築き上げ、世界中の富を手中にし、世界を支配している代表的な銀行財閥が「ロスチャイルド家」です。

 中でも、イギリスに渡った三男のネイサン・ロスチャイルドは、1815年のイギリス連合軍とナポレオン率いるフランス軍との戦いに出資し、戦果の情報をいち早く手に入れ、他の全投資家を出し抜き、一人勝ちします。

 この戦争の結果、ほとんどのイギリスの大金持ちや名家が破産したのに対し、ネイサン・ロスチャイルドは、当時の財産300万ドルを、一気に2500倍の75億ドルに増やします。(1億円が2500億円になる倍率です。)

 こうして1810年にロンドン証券取引所の支配者となり、ヨーロッパの金融を独占し、「世界一の金融王」として君臨、今のロスチャイルド財閥の世界支配のベース基地となりました。

(4)ロスチャイルドのアメリカ進出
 続いてロスチャイルド一族は、アメリカに進出し、自分たちの強力な代理人として、J・P・モルガンとJ・シフを支援し、アメリカに巨大なモルガン財閥、シフ財閥を形成させます。

 モルガンとシフを通して、資金的支援をしたJ・D・ロックフェラーは石油王に、ハリマンは鉄道王となり、それぞれも巨大財閥を形成し、欧米を共通支配する「世界的な国際金融権力」へと変貌していきました。


 続きは、Part2へ。


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「今、起こり始めた未来」を考える [Essey]

1.Li-Fiについて

 Wi-Fiよりも100倍速い「Li-Fi(ライファイ):Light Fidelity」という新しい無線技術をご存じでしょうか。

 2011年にエディンバラ大学のハラルド・ハース教授が発表した、無線LAN通信の新技術であり、実験にて「224Gbps」という超高速通信をすでに達成しています。

 この発明の革命的なところは、世界中にある「電球」を無線LANルータに変えてしまうという点です。

 ごく一般的な照明器具、LED電球に小さなマイクロチップを取り付けるだけで、「電球」が「無線LANルータ」としても機能するようになります。

 Li-Fiは、可視光線の赤外線波と紫外線波を使って、データ通信をします。

 赤外線と紫外線は、無線周波よりも多くの情報を通信できる光スペクトルを持っているので、Wi-Fiよりも高速通信が可能になります。

 今後、光の「波長を多重化」できれば、さらに尋常じゃないスピードになるかもしれません(笑)

 LED電球の光源は「半導体」なので、可視光通信(VLC)を使えば、LED電球内の電流のオン・オフを高速で切り替えられます。

 LEDは消灯されたあとも、人間の目では認識できない暗い光を点灯していて、その程度の光源でも信号は送れるため、LED電灯の電源を切っても通信可能です。

 さらに、Li-Fiは、Wi-Fiような高周波ではなく、光スペクトルを使うため、電磁波妨害が起きません。

 Li-Fiは、電磁波の影響をまったく受けずに通信可能で、人体や動物の健康に影響を与えません。

 さて、これらの事象は今後、どのような意味を持ってくるでしょうか。
 「今、起こり始めた未来」について考えてみます。

2.光による情報通信について

 Li-Fiの技術は「光が情報を伝達できる」ことに基づいています。
 つまり「光伝送」ですね。

 これまでは「光ファイバーケーブル」によって、「有線」で高速通信してきたわけですが、「今、起こり始めた未来」では、「光そのものを直接受光して、高速通信できる」わけですよね。

 その「光を出力する媒体」として、LEDが理想的だと。

 近い将来、「光そのものを浴びればいい」のであれば、人間の脳付近(イヤリングやネックレス)または直接脳内にマイクロ受信装置を付けて、直接「光」から、さまざまな情報を受け取れるようになる、ということですね。

 「受光」という点では、主に目が光を受けていますが、身体全体でも受光は可能です。「日焼け」という現象も、その一形態ですね。

 ということは、もう(個人が持つ)PCもモバイルも不要になります。
 それは、もはや「テレパシー」と一緒ですね(笑)

 これまでのSF映画で、宇宙人同士の交信が「テレパシー」として(想像されていた)ものが、現実に「光伝送」として実現されるのかもしれませんね。

 映画「マトリクス」では、まだ「有線」で「首の後ろの端子」から脳に接続していましたが、もはや「無線通信で良い」ということですね(笑)

※ただし、「Part3『The Matrix Revolutions』」では、ネオのみ、意識不明の状態で、プラグが刺さっていないにも関わらず、マトリックス内(「モービル・アヴェニュー」というトレインマンが制御するエリア)に侵入していました。(これはもしかしたら、光伝送による無線接続だったのかもしれませんね(笑))

 さらに、光は「エネルギーを有して」います。
 現在、太陽光パネルで受光して、太陽光発電という形で、エネルギーを取り出しています。

 代表的な「光触媒」である「二酸化チタン」は「半導体」で、光のエネルギーを受けることで高エネルギー状態となり、光が当たった表面の電子を放出します。

 つまり、「二酸化チタン」に「光があたるだけ」で「ラジカル電子」が放出されます。

 この「光がぶつかるだけで放出されるラジカル電子」との化学反応によって、自らは何も変化することなく、周りのものを変える働きを持つ触媒物質を「光触媒」と言います。

 「光触媒」である「二酸化チタン」は、表面(光触媒層)に、太陽光(紫外線)があたるだけで、活性酸素を発生させ、表面に付いた有害物質や汚れを化学反応で分解する性質があります。

 その性質を生かすため、建物の外壁、建材(金属も含む)などに使用されています。

 この「光触媒」は、電位差が比較的簡単に得られるため、エネルギー取り出しも可能と思われます。

 「光触媒」自体には、光を浴びても、何の変化もありませんので、無限に利用可能なエネルギーになり得ます。

3.エネルギー変換について

 太陽光発電は、光エネルギーを電気エネルギーに変換しているように、あらゆるエネルギーは「変換」が可能です。

 光エネルギー、電気エネルギー、熱エネルギー、化学エネルギー、運動エネルギー、位置エネルギー、力学エネルギーなど、さまざまな「エネルギー変換」が日常的に行われています。

 例えば、人間は食事をすることで、消化・分解・吸収し、摂取カロリーを運動エネルギーに変換しています。

 しかし、この「変換効率」は、決して良いものではありません。
 摂取カロリーの大部分が、吸収されずに、無駄に消費されています。

 映画「マトリクス」では、なんと「人間が電池にされて」いましたが(笑)、実際、人間の体内には、常に微量な電気が流れていますので、光エネルギーや電気エネルギーを、人間の活動に必要な「運動エネルギー」に変換してもよいはずです。

 どうせなら、もっと光エネルギーの「変換効率」を高めて、人間の生体としての「光処理能力を活用する」ことも、今後研究されていくのではないかという気がします。

 「光エネルギー」を直接、人間に必要な「運動エネルギー」に、高効率で変換できれば、食物が不要になります。

 常に「光エネルギー」を全身に浴びながら、「光触媒」のように、人間に必要な「生態的エネルギー」に変換できれば、植物の「光合成」ような「人間の植物化?」もしくは「宇宙人化?」ができる可能性が高まってきますね(笑)

 食べなくて済むなら、口や消化器官は、どんどん退化していくのかもしれません。
 「お腹がすく」という現象も、起きなくなっていくのかもしれません。

 よくSF映画で、栄養とカロリーの摂取だけを目的とした「まずい宇宙食」が出てきますが、光さえあれば、そんなものは必要なくなるのかもしれません。

 もしそのように「光だけあれば、あらゆることが事足りる」ようになれば、宇宙の果てまでも、永遠に飛び続けられますね。

 となると、映画「STAR WARS」には、未来的な「ソーラーセイル:太陽帆(宇宙ヨット)」が登場しますが、登場人物たちが「普通に、マイクに向かって無線で連絡したり、むしゃむしゃ食べる」シーンがありますが、すでに時代遅れなのかもしれませんね(笑)

「シンギュラリティ」に関するまとめ [Essey]

 今、まさに話題の「シンギュラリティ」について、現時点でのまとめをしてみました。


◆シンギュラリティ(Technological Singularity)=技術的特異点について

 「シンギュラリティ」という言葉を、技術発展の文脈で初めて使ったのは、「現在のノイマン型コンピュータ」動作原理を考案した、天才数学者ジョン・フォン・ノイマン(1903ー1957)と言われる。

 その後、SF作家で数学者のバーナー・ビンジが、1993年の論文「The Coming Technological Singularity 」を発表し、シンギュラリティの概念を広めた。

 ビンジは、シンギュラリティが、2030年より早く起こるだろうと予想している。

 人工知能研究の世界的権威である、レイモンド・カーツワイルの定義は、「100兆の極端に遅い結合(シナプス)しかない人間の脳の限界を、人間と機械が統合された文明によって超越する瞬間のこと」とする。

 人間とAIなどが融合することによって、「人間の成長曲線が無限大になる点(=特異点)に到達する」ことを言う。

 「シンギュラリティ」という言葉は、進化速度が極めて速く、数学的な特異点と同様に見えるため、このように名付けられた。

 カーツワイルが2005年に発刊した『The Singularity is Near(邦題『ポスト・ヒューマン誕生』)』で、「2045年頃にシンギュラリティは実現するだろう」と予想した。

 2012年に開催された「シンギュラリティ・サミット」では、オックスフォード大学「人類の未来研究所」のスチュアート・アームストロング博士が、各識者が予想するシンギュラリティ実現年の中央値は、2040年と発表した。


◆人類史上の3つの社会的革命について
1.農業革命
 約1万年前〜。
 「食料は獲る・採る」時代から、「食料を作る」時代への革命。

2.産業革命
 約250年前〜。
 石炭を使用した新エネルギーの登場、機械工業生産の発達、輸送革命を起こした蒸気機関車の登場。
 人類の生活のレベルが一気に上がり、世界中に都市が誕生。

3.情報革命
 約70年前〜。
 ノイマン型コンピュータの誕生、トランジスタの開発、集積回路(半導体)の発達、インターネットの誕生、通信の発達、スマートフォンの登場。


◆今、起こりつつある4つ目の社会的革命
4.AI革命
 現在〜。
 人工知能の発達、ディープラーニングの誕生、ニューラルネットワークの誕生、量子コンピュータの登場、脳型コンピュータ(ある目標のために自ら学習し、進化し続けるコンピュータ)の誕生。


◆これから起こるであろう、5つ目の革命=シンギュラリティ
5.超人革命
 未来〜。
 人間とコンピュータが一体化した「バイオニック・コンピュータ」によるサイボーグ超人(究極の生命体)の誕生。

 IPS細胞の登場による全細胞の新品取替方式の一般化、不死となった新生命体による「永遠に枯渇しない新エネルギー」の開発、全宇宙への航海時代の到来。

*新生命体が必要とする「食料」は、窒素、炭素、酸素、水素で構成される物質のため、それらの組合せで必要な栄養が合成できる。

*これらの分子を補給・保管するシステムを開発すれば、永遠に摂取し続けられる。

*何億光年先であろうとも、宇宙の果てまでも、永遠に宇宙旅行し続けられる。

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「正義とは何か」を考えてみる [Essey]

 かなり以前に、ハーバード大学の講義「マイケル・サンデル教授の白熱教室」を観た時から違和感を感じ(笑)、見れば見るほど嫌いになり(笑)、「全然ダメだな」「全然違うな」と思い続けて有余年、ようやく、考えがまとまってきました(笑)

 世界的な大ベストセラー「サピエンス全史」の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、「絶対的な正しさ、普遍的な正義など存在しない」としています。同感です。

 ある人にとっての「正義」は、それぞれが「自分にとって都合の良い」ことを「正義として主張している」に過ぎない、「相対的なもの」であるということですね。

 場合によっては「正義とは強者の利益のために作られたもの」という状況もありますね。

 人類の歴史上「正義」という概念は、結局、実社会では「法」として運用されてきました。

 個々人で「正義」が異なるので、「法で定めたことに、みんなが従うことにする」というルールは、とても「自然発生的に得られた現実論」という気がします。

 たとえそれが、ある人にとっては「悪法」であろうとも、(税金のように)不満があろうとも「法で定めたことには従おう」と。

 人類の歴史は、これを悪用してきた歴史でもあるのかもしれませんね。
 ナポレオンでも、ヒトラーでも、日本における政治の歴史でも。

 「法とは何か」言えば、人々の「決めごと」であって、人々が集まって「こうしよう、そういうことにしよう」と、多数決で決議し、決めたことに過ぎません。

 それは、その時点の「ルール」に過ぎないので、当然、どんどん変化しますし、追加・削除もされますし、やっぱり「全部取りやめ」になることもありますと。

 その「ルール」=「法」を破った人に対して、罰則を設けるかどうかも、その時の人々の判断で変化しますと。

 つまり、その時代、その時間に決めた人たち次第で、ルールは変わるし、法は変わるし、「正義は変わる」ということですね。

 ある時代では「男尊女卑」が正式な「法」として定められ、正しい行動、正義であったし、ある時代においては「男女平等」が「法」として定められ、正義になると。

 ある時代では「職業の固定化」が正義であり、ある時代においては「職業選択の自由」が正義になると。

 ある時代では「黒人奴隷制」が正式な制度として、法によって運用され、ある時代においては「人種差別」が否定されると。

 「正義」なんて、所詮、その程度のものだと。

 と解釈しつつも、でも本当に「正義」に対する認識は、これで良いのだろうかとも思いつつ、哲学書や思想・思索を探るわけですが、これといった「なかなか良いもの」が見つかりません。

 人類史上に残る「知の巨人」たちでさえ、なぜか「正義」に関しては、ほかの事象に対する思考の深さ、見事さに比べて、かなり見劣りした内容になっています。

 例えば、プラトンほどの人が「正義とは、国家の備えるべき至高の徳」としています。
 これでは「国家」レベルの話でしかありません。

 プラトンの弟子であるアリストテレスは「正義には、配分的正義と矯正的正義の2つがある」としています。

 「配分的正義」というのは、「各人の有する価値に応じた比例的分配が正義である」というもので、結局は「配分」、各人の取り分の話に過ぎません。
 せいぜい「取り分をごまかすなよ」というのが「正義」というレベルの低さで、まいります(笑)

 「矯正的正義」というのは、「法の前で平等とされる市民の間に現実に存在する不均等を矯正する調整の正義」という、一見難解そうな書き方ですが、結局は「不正や不当な利益は、調整されなければならない」というだけです。
 「正しく調整するのが正義だ」と。

 そういう、現実社会の、個々の、限られた場面での、「実社会における正義」ではなくて、もっともっと深い思考の、宇宙観にも触れるような「普遍的な正義」に関する「奥深い洞察」はないものでしょうか。

 例えば、仮に「普遍的な正義」があったとして、それを解釈・判断するのは「その時に存在する人に過ぎない」という指摘があります。

 結局は、その時に解釈・判断する人々が考える「正義」次第で、解釈・判断も変わってしまうのだから、それはもはや「普遍的な正義」ではないと。

 例えば、「権利の存在」は、普遍的に定義できても、その「権利を認めるか、認めないか」という「法」的な判断は、その時代、人々の集団の違いによって、変わってしまうと。

 「正しい」かどうかを「人が判断」している時点で、「普遍的ではない」という指摘ですね。

 ということは、仮に「人知を超えた普遍的な正義」があったとしても、その時代、人々の集団で、解釈・認識が異なってしまうのだから、そもそも「普遍的な正義」があろうとなかろうと、結局「人類にとっては何の意味もない」ということになってしまいます。

 ということで、「白熱教室」で感じた「違和感」につき、長年にわたって思考継続してきた結果、導き出された結論は、次のものとして、ついに決着した次第です(笑)

「正義とは、その時々に居合わせた人々が、感覚的に多数決で決めるルールに過ぎない」
by Virai
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有名な「漁師とコンサルタント」という話を考えてみる [Essey]

 この「漁師とコンサルタント」という話は、アメリカのビジネススクールでMBA(Master of Business Administration:経営学修士)を取得したコンサルタントが「いかに役に立たないか」を皮肉ったジョークらしいです。
 だいたいこんな話です。
−−−−−−−−−−−−−−
 メキシコの海岸沿いの小さな村に、MBAの資格を持つアメリカのコンサルタントが訪れた。
 ある漁師の船を覗くと、活きのいい魚が獲れている。

 コンサルタントは聞いた。
「いい魚ですね。漁にはどのくらいの時間かかるのですか?」

漁師「そうだな、数時間ってとこだな。」

「まだ日は高いのに、こんなに早く帰ってどうするのですか?」

漁師「妻とのんびりするよ。一緒にシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子どもと戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しみ、それで、寝ちまうよ。」

 それを聞いてコンサルタントはさらに質問した。
「なぜもう少し頑張って漁をしないのですか?」

 漁師は聞き返した。
「どうして?」と。

コンサルタント「だって、もっと漁をすれば、もっと魚が釣れる。それを売れば、もっと多くの金が手に入り、大きな船が買える。そしたら人を雇って、もっと大きな利益が出る。」

「それで?」と漁師は聞く。

コンサルタントは答える。
「次は都市のレストランに直接納入しましょう。そうしたら、さらに大きな利益がうまれる。
 そうなれば、この小さな村から出て、メキシコシティに行く。
 その後はニューヨークに行って、企業組織を運営すればいい。」

「そのあとはどうするんだ?」漁師はさらに聞いた。

 コンサルタントは満面の笑みでこう答えた。
「そこからが最高だ。企業をIPO(Initial Public Offering:新規株式上場)させて巨万の富を手に入れるんだ。」

「巨万の富か。それで、そのあとはどうするんだい?」と漁師は最後に質問した。

「そしたら悠々とリタイヤさ。小さな海辺の町に引っ越し、家族とのんびりシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子どもと戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しむ。のんびりした生活を送れるのさ。」

 漁師はため息をつき、やれやれ、という顔で一言を付け加えた。
「・・・・そんな生活なら、もう手に入れているじゃないか。」
−−−−−−−−−−−−−−

 まあこれはこれでいいのですが、困ったことに、自分にとって、この「海辺の町で、のんびりと過ごす生活」が「まったく羨ましくない」ということに気づかされてしまったわけです(笑)

 自分でも「そうだったのか」とびっくりしましたが(笑)、こういうところで、まあ1週間ぐらいなら、のんびりするのは良いかもしれません。

 しかし、もしそれが2週間も続くと「大事な、自分の短い人生を、こんなところで、ただ無為に、無駄に、過ごしていて良いのか」という感情が、湧き起こってくることは間違いありません(笑)

 別に自分は、ワーカーホリックなわけではありません。
 単純に、「人生を楽しむ」「ひたすら遊ぶ」という観点においても、例えば、「世界最高峰のサッカー」を観ることが、自分の最高の至福の時間でもあるわけです。

 もし、十分なお金と時間があるなら、ワールドカップ、チャンピオンズリーグ、欧州選手権、南米選手権、そのほか、すべての世界大会を、現地に行って、直接観たいわけです。

 もちろん、サッカー日本代表の試合も観たいですし、応援したいですよね。
 海辺の田舎町で「食って、寝て」る場合じゃありません(笑)

 つまり自分の場合、こんな田舎の「海辺の町」にいたのでは、人生を「まったく楽しめない」「何もおもしろくない」「まったく羨ましくない」わけです(笑)

 サッカー以外でも、例えばローリング・ストーンズ、U2、ブルーノ・マースなど、世界ツアーレベルの音楽・構成・演出で、圧倒されるようなコンサートに行って、全身で打ち震えたいわけです。

 頭のてっぺんから足の先まで、圧倒的なエネルギーを浴びながら、その音楽性の高さに、鳥肌を立てながら、体ごと感動したいわけです。
 それこそが「自分にとっての幸せな時間」なわけです。

 「食べる」にしても、例えば「オテルド・ミクニ」のような「芸術的な域」にまで到達した、最高の料理を味わって感動したいわけです。

 もしお金と時間を問わないのなら、フランスのジョエル・ロブションの世界最高峰のコース料理を心の底から堪能したいわけです。

 たった1度の人生、田舎の「海辺の町」で、自分で漁をしてきた魚中心の同じような料理を(しかたなく毎日)食べてる場合じゃありません(笑)

 あるいは、大好きな映画にしても、例えばリドリー・スコット監督の最新作が、高画質/高音響の最新型シネコンで観られないなんて、そんなつまらな過ぎる生活、自分には無理なわけです(笑)

 自分にとっては、「小さな海辺の町に引っ越す」時点で、苦痛でしかないわけです(笑)
 何で、そんなつまらない毎日を過ごなくてはならないんだと。
 下手すれば、囚人じゃないかと(笑)

 という、この話の本来の趣旨とは、まったく違う受け取り方になってしまったのが、「自分でも意外で、おかしかった」という話でした、ちゃんちゃん(笑)


「子どもと大人」を考えてみる [Essey]

 よく「大人にはなりたくない」とか「いつまで経っても、子どもだな」といった表現を見聞きしますが、そのたびに感じていた「違和感」について考えてみました。(我ながら物好き(笑))

 このような表現において、「大人 or 子ども」を決めるのは、「年齢」ではなく、精神的な観点、「精神性」であることがわかります。

 つまり「精神の発達具合」ということですね。
 大人と子どもを分けるのは。

 子どもの精神性は、すべて「真似」から始まります。
 親を真似し、周りの大人を真似し、兄妹の真似をし、同年代の真似をしながら、言葉を覚え、話し方を覚え、動作を覚え、対応のしかたを覚えていきます。

 あらゆる人間が、成長過程で「真似」するのは、根源的な生存本能であり、生き残り戦略であり、基本的な要素を形作るものですね。

 だからこそ人間の成長過程において、親や周囲の人たちが与える影響は大きいと。

 しかし、ある程度「知能」が発達してくると、「親や周囲の人たちの真似では、全然足りない」ということに気づきますね。

 そこで、もっと多くの、広い視野・視点からの、自分がそれまで知らなかった「より良いもの」を真似しようと求め、これまでの人類の歴史や偉人たちを学び始めると。

 あるいは、どこかへ旅に出てみたり、一人暮らしを始めてみたり、なんとかして独り立ちしようと試みると。

 ここで、大きな分岐点が訪れます。
 「このままで、もういいや」と思うか「まだまだ、もっと大きく成長したい」思うかですね。
 ここが「大人と子ども」を分ける、分岐点なのだなと。

 その地点で、成長を放棄した人は、どれだけ年齢が経過しても、ずっと「子ども」のままですね。
 実際、自分の周りにも「いい年した子ども」をたくさん見かけます(笑)

 逆に、自分に対して、さらなる成長を求め続けるならば、その長さ、深さに応じて、より高レベルの「大人へと成長していく」ということですね。

 これも「年齢」には関係ないので、小学校、中学校の年齢で、すでに「大人」のレベルに達している人もいますね。

 「精神性の発達具合」を見極めるのは、次の項目がわかりやすいですね。

1.物事をすぐには信じない
 世の中のさまざまな情報に対して、鵜呑みに信じてしまう人が結構多いわけですが、「鵜呑みにする」ところが「子ども」ということですね(笑)

 簡単に、ありふれた詐欺に引っかかるような人たちですね。
 年だけ、取っていても。

 「大人」のレベルに「知能」が発達した人なら、必ず一歩立ち止まって「それは本当か? 真実なのか?」と疑問に思い、すぐには信じない=クリティカルシンキングによって、騙されることなく、冷静に、真実を探求していくことができますね。

 ひとりの「大人」として生きていく上で、とても重要な思考方法ですね。

2.「探求心=知的好奇心」の高さ
 知力が「大人」のレベルの人は、探求心=知的好奇心が高く、自分が知りたいことに対して、貪欲に調べ尽くし、すぐにわからなくても、ずっと継続的に考え続ける精神的な強さも持っていますね。

3.誰に対しても、わかりやすく説明できる
 「大人」であれば、説明がうまいと言われないといけないですね。
 それは、聞く側の立場に立って、相手が理解しやすいように説明しようと努力するからできることですね。
 これが「子ども」にはできません(笑)

 そのためには、自分自身が(あやふやな点など1点もない)完全に理解した状態=「相手がどのような質問をしてきても答えられる状態」であることが必要です。

4.軸がしっかりしている
 知力の高い人が、人の話に騙されないのは、自分の中にしっかりとした軸があり、独自の意見を持っているからですね。

 「なんとなく」とか、「どうなんだろう」といった曖昧な状態ではなく、「自分の考えはこうだ」「それは今の自分にはわからない、よって判断できない」と、明確に「メタ認知」できているからですね。

 「子ども」は「メタ認知ができていない」ので、今の自分が「人からどう見えているか」を認識できないため、車両やお店の中で(人の迷惑を考えず)騒げます(笑)
 もちろん、年齢に関係ないので、高校生でも、大学生でも、社会人でも(笑)

5.豊富な知識量
 順調に成長できている人は、自分に「インプットしたものしか、アウトプットできない」ことを知っているため、広範囲に、専門的で深さのある知識量の拡充に努め続けます。

 それは、言葉自体の引き出しも多く持ち、わかりやすい言葉で説明できる準備をしていることにもなりますね。

6.目的意識が強い
 知力が高ければ、無計画であることを嫌い、どんなことでも(仕事・遊び・趣味...etc.)、何かする時には必ず目的を決めて進めます。

 だからこそ、途中、挫折しそうになったとしても、目的を達成しようと継続できる精神的強さにつながりますね。

 例えば、ギターが弾きたいと始め、意外と難しくて、途中、挫折しそうになっても、目的意識が強いから、「どうすれば乗り越えられるのか」を考え、課題解決方法を見出し、最後までやりきれるわけですね。

7.効率がいい
 知力が高ければ、効率の悪さを嫌うので、どうすれば「効率よく進められるか」について、頭をフル回転させます。

 常に「効率性」を考えているからこそ、仕事でも趣味でも「こうすればもっと速い」「この方法の方が最大効果が得られる」といったアイディアが次々に思い浮かんできますね。

8.解決能力の高さ
 知力の高い人は、自分が今まで培ってきた知識・能力を活かせば、乗り越えられない壁はないと考えるので、物事の解決能力が高くなります。

 知力の低い、まだ「子ども」な人は、何か新たなチャレンジをする際に、まず「失敗したらどうしよう?」と頭に浮かぶのだそうです。

 そのため、実際にやる前から「リスク」を恐れ、回避したがり、結局は、新しいことへのチャレンジから逃げ、ずっと「新しいことを何も獲得できないままでいる」ようです。

9.無駄なことをしない
 知力の高い人は、自分を客観視(メタ認知)できているので、無駄なことはしません。

 例えば、自分のキャパオーバーな量の仕事を押し付けられたとしても、アタフタすることなく、最優先でするべきこと、後回しにできることを瞬時に判断し、達成可能なものから、日数調整の交渉を行っていきますね。

 キャパオーバーとわかっていれば、ジタバタしても無駄なので(笑)、それを前提にした思考方法に、切り替えるだけですね。

 あるいは、もしその相手が日程交渉が不能な人の場合であれば、「相手にするだけ時間の無駄」ときっぱりと断ち切る精神的な強さ(軸)があるので、無駄なトラブルを避け、より上位の「より権限の高い人」に報告、相談し、常識的な解決方法を図りますね。

10.あいまいにしない
 知力の高い人は、新たに触れた情報に対してはいつでも、あいまいにすることなく、突き詰めて調べ、得た情報が事実かどうか検証してから咀嚼し、自分の中に取り込んでいきます。

 インプット時にそうするからこそ、「1点の曇りのない状態」で「アウトプットもできる」ということですね。

 同じ生きるなら、年だけとって、ずっと「子どものまま」なのは、あまりにも情けないので(笑)、とっとと脱して、少しでも早く「大人な精神性」に到達し、さらなる成長、自己実現を図っていきたいものですね。

カント『純粋理性批判』まとめ [Essey]

 カントの『純粋理性批判』のまとめです。
 21世紀の現代においても、相変わらず深い命題ですね。
 繰り返し、自分の中に、改めてインプットし直したくなるテーマです。
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 『純粋理性批判』は、17世紀ドイツの哲学者のイマヌエル・カントによる著作で、1781年に発表。

 カントは、私たちの「認識可能な領域」の限界線をハッキリさせることで、普遍的な認識、つまり「共通了解がどこまで可能であるか」を明らかにしようとした。

 その意味で「批判」とは、徹底的な「吟味」のことを指している。

 「先験的理念」は、超越的であって、一切の「経験の限界」を超出する。
 よって、これらの理念に「完全に合致するような対象」は、「経験では決して現われ得ない」のである。

 「世界に始まりはあるか?」または「終わりはあるか?」は、一見、どちらが正しい命題であるかを判断するのは難しいが、カントは、

1.正命題 世界は時間的な始まりをもち、また空間的にも限界を有する。

2.反命題 世界は時間的な始まりを持たないし、また空間的にも限界を持たない、即ち世界は時間的にも空間的にも無限である。

は、ともに等しい妥当性を持つとする。

 つまりカントは、「世界に始まりと終わりがある」という命題と、「始まりも終わりもない」という命題は互角に成立してしまうため、「世界に始まりと終わりのどちらがあるのか」を判断することはできない、とする。

 「世界には始まりがあり、限界がある」という命題と、「世界には始まりがなく、限界がない」という命題は、どちらも等しく成立する。
 したがって世界の始まりと限界を決定することは、原理的に不可能である。

 「世界の全体はこうなっている」とドンと示されると、いいね!と賛同する人もいれば、そんなの分かりっこない!とシニカルな態度を取る人もいる。

 正命題と反命題は、たとえ同じ妥当性を持っていても、どちらを選ぶかについては心理的な要因が大きく影響している。


出典「カント『純粋理性批判』を解読する」
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-kant-kritik-reinen-vernunft/
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「サピエンス全史」著者インタビュー記事の感想 [Essey]

世界的ベストセラー「サピエンス全史」の筆者、ユヴァル・ノア・ハラリ博士(イスラエル人歴史学者)のインタビュー記事2つの読後感想

1.「人類の繁栄とは“虚構”の上にあるのです」 『サピエンス全史』著者ユヴァル・ノア・ハラリ大型インタビュー
https://courrier.jp/news/archives/63841/

2.“貨幣や宗教は虚構”「サピエンス全史」ユダヤ人著者が語ったこと。
https://www.buzzfeed.com/sakimizoroki/sapiens-interview?utm_term=.uq2KJGA8a#.wlJ9kgj0z
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1.ヒトの最大の特長
 『人類は、地球の歴史上初めて「認知能力」と「言語」を獲得した。
 これが(ほかの生物に対しての)圧倒的な地位を築いた。』

(1)認知とメタ認知
 人間だけが獲得した「認知能力」には、知覚、判断、想像、推論、決定、記憶、言語理解力などがある。
 「人が人としてたり得る」要素であり、これが失われると「認知症」となる。

 最近では「メタ認知」能力がより重要視され、「メタ認知」能力は「仕事を成功させていくのに必須な能力」とされる。
 「メタ認知」能力とは「自分が周りからどう見えているか」「どう思われているか」「自分の発言がどういう影響を与えるのか」といった「自己客観視」できる能力。
 「現実の自分」を客観視している「もう1人の自分」という感覚。

 例えば「自分のキャパをオーバーする仕事まで引き受けてしまう人」は、メタ認知能力が低い。
 自分で「自分が処理できる仕事量を、客観視できていない」ということ。

 また「メタ認知」能力が低い人というのは、世の中は「自分の考えや意見と違う人ばかりだし、それで全然良い」という事実をうまく受け入れられず、自分の考えと違う意見が出る度に否定したくなる、攻撃したくなる。
(どんな意見があったっていいのに(笑))

(2)非認知能力
 「社会的な成功」のためには「非認知能力」こそ必要、という指摘もある。
 「非認知能力」とは、忍耐力・意欲・自信・協調性・粘り強さ・計画性・リーダーシップ、克服する力などで、幼児期の教育が重要と言われる。

 現在の学校教育の学力・成績は、重要度から言えば、せいぜい3番目以降である。
(成功した経営者の学歴に「中退」が多いのも、うなずけますね(笑))

*「メタ認知」的に、こんな長文、読む人いるのかな(笑)

2.農業革命
「農業革命によって、地主(経営者)と労働者が生まれ、搾取と支配階級が生まれた。」

 つまり、人類初の「不平等」が生まれた。
 搾取される奴隷や労働者は、当然、以前よりも不幸になり、支配階級は「より多く幸せを感じられる立場」「生活の質を急上昇できる立場」となった。

 新しく生まれた支配階級によって、貨幣経済による、より強固な資本主義体制が(自分たちに有利な勝手なルールで)築かれていった。
 それは「富の移転」を前提とした、「持つ者」と「持たざる者(取り上げられる者)」の支配体制である。

 ただし、労働者(の立場)から経営(統治)側へ、立場を逆転できる道は残されている。

3.貨幣・国・宗教という虚構
「国や宗教は虚構に過ぎないのに、虚構に振り回される人が多い。」

 そんな虚構のために、殺し合いをするぐらいなら、国も宗教も、この世からなくしてしまえばいい。
 「愛国心」とか「信心深い」とか、基本的にずれている(笑)
 「権威」付けを盲目的に信じる人が多い。実質的な価値がないものにまで。

 何の価値もない、つまらない「権威」に、盲目的に騙されているのは、今でもオレオレ詐欺に騙されてる人と、何も変わらない。
 全然、詐欺に引っかかっている人を笑えない、同じくらい簡単に騙されているから(笑)

4.経済成長と不平等
「資本主義の目的は、マーケットを中心とした経済成長であり、世界中のあらゆる地域を良くしようということではない。」

 20世紀は「マスの時代」であり、働く「すべての人」に「富を生み出す」価値があった。
 21世紀は「個」の時代となり、テクノロジーの発達によって、「小規模な、もっと言えば「個」の力で、圧倒的な経済的価値を生み出せる」時代となった。

 マスの時代は終わり、人類の大半(36億人)が生み出す「富」と、世界のトップ62人が保有する「個」の資産が「同額」となった。

*世界36億人の平均資産額が5万円に対し、トップ62人の平均資産額は3兆円。

5.命の「不平等」の誕生
 現代の最新医療では、「加齢」も「死」も、他の病気と同じ「技術的な問題」になりつつある。

 現状「人が死ぬ」のは、心臓の鼓動が止まったり(心肺停止)、血管が詰まったり、出血するからであって、これらはすべて技術的な問題に過ぎない。

 心臓でも、肺でも、どの臓器でも、何か問題が起きれば、自分の「IPS細胞」から、いくらでも新品の元気な臓器を作り出して、移植すればいい。

*老化の原因と考えられる「テロメアの短縮」を修復する酵素「テロメラーゼ」を活性化する方法が見つかれば、人は永遠に細胞分裂を繰り返すことができ、寿命がなくなる可能性が高い。

*長期の生存によって生じる「DNAの損傷」や「活性酸素から受けるダメージ」も、定期的に、自己幹細胞から生成した「新品」と取り替えてしまえばいい。

 「死」が「技術的な問題」になれば「解決可能」なことなので、ついに「お金さえあれば、死ななくて済む」時代、つまり「死とは、1つのオプションに過ぎない」時代を迎えつつある。

 これは、人であれば、万人に平等であったはずの「死」を、「不平等」なものにする。
 農業革命以降に生じた「地位の不平等」が、医療革命によって、今度は「貧者は(これまでどおりに)死ぬ」が「裕福な者は生き続ける」という「命の不平等」を生み出す。

6.超人に代わる未来
「人間の進化、人間の次に来る生物は何か」と考えれば「バイオニック・コンピュータによるサイボーグ超人である可能性が高い。」

 最近よく「シンギュラリティに対する不安、心配、恐怖」が指摘されるが、それは「人間だけが、人工知能から取り残される」と考えるから、「人間がマシンに支配されるのでは」という話になってしまう。

 そうではなく、自分の脳と人工知能を合体させ、人間とマシンが一体となった「新しい生命体」に、人間そのものをマシンと一緒に「進化」させればいい。

 人類に、AIの力をも取り込み、脳(能力)を異次元なほど高度に、拡張・進化できた時、新生命体が誕生する。

 そうなった時、進化した新生命体が「永遠に飛び続けられるエネルギー源を持つ宇宙船」を開発し、不死となって、全宇宙へ冒険していく時代が来るのだろう。
 たとえ何億光年かかろうとも、関係なくなるのだから。

*「食料」とはすべて、窒素、炭素、酸素、水素で構成される物質であるため、それらの組合せで、いくらでも合成できる。
 これらの物質を、宇宙空間に漂う惑星などから入手・保管できるしくみがあれば、新生命体が必要とする栄養分も、何億年でも不自由しない。

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『Nスペ マネー・ワールド 第3集』の感想 [Essey]

『NHKスペシャル マネー・ワールド 資本主義の未来
 第3集 巨大格差 その果てに』について

 番組を観ながら、「自分になりに気づいたこと」をまとめてみました。

 すでに観終わった方向けの思い切り踏み込んだ内容なので、まだ観ていない方はご注意ください。

*「もう観た方を対象に」ということで、番組自体の内容は省略します。

*あくまで個人的な「気づき」ですので、番組内では語られていないこと、番組での解釈とは違う場合があります。

*そして、ここに書いたことが、自分と違うからって反論しないでくださいね(笑)
(人それぞれ受け取り方がありますし、何も「人と同じ考えにしなければいけない」わけではないですので(笑))

<1>
 シアトルの決済代行会社『グラビティ・ペイメンツ』のダン・プライスCEOは、全社員の最低年収を7万ドル(約830万円)に引き上げた。

 それまでの全社員の平均年収は、4万8000ドル(約576万円)であり、自分の報酬は、自ら、それまでの10分の1以下にあたる「社員と同じ」7万ドルまで引き下げた。

 この判断のベースとなったのは、「人は、年収が7万5000ドルに達するまで、収入の増加に比例して、幸福度も増加していくが、7万5000ドルを超えると、幸福度は上がらない」という、ダニエル・カーネマン氏(2002年ノーベル経済学賞受賞)とアンガス・ディートン氏(2015年ノーベル経済学賞受賞)が共同執筆した論文による。

 「国家」が不要となる今、人々は「より優れた経営者のもとに集まる」ようになっていくだろう。

 国家よりも、優れた統治能力のある企業が「国家を超えていく時代」の始まり。

<2>
 「富の格差」をなくそうとした「社会主義・共産主義」は、結局は「各自の努力の差を生まない社会」と同義になり、人々からやる気を失わせ、崩壊した。

 金融資本主義は「実体経済を独占した者たち」がさらに「仮想経済」で(実体を超えて)巨額を手中にし、巨大化し過ぎた「巨大資本所有者たち」が自分たちに有利になる社会への変更を求め、「再選だけが目的の政治家たち」を動かし、巨大資本のための優遇体制が構築されていった。

 「古き良き時代」においては、国家の力が企業よりも強かったので、巨大資本に対する応分の税負担が行われ、低所得者への所得再配分によって、中流階層が増加し、経済活動に活力が生まれていた。

 今や、国家と企業の力が逆転し、現在の政治体制では、今後も「富の格差」は拡大し続け、人々からやる気を失わせ(「働くだけ無駄」という諦め、真面目に働いても稼げないワーキングプア状態)、崩壊していくほかはない。

 もはや、遅かれ早かれ、国家に見切りをつけ、新時代の「企業統治体制」に向かわざるを得ない時代となった。

<3>
 「共有型経済(シェアリングエコノミー)」の中に、完全にお互いに「無償で貸し合う」形態も登場してきた。

 オランダのアムステルダムでは、日用品を無料で貸し合うコミュニティが形成され、経済活動規模は、10億ユーロ相当になっている。

 このようなコミュニティの形成は、一見、良さそうに見えるが(表層的には理想的なようにも思えるが)、これまでの歴史のとおり、同じく、結局は「まったく富の移転を伴わない」ので、(無償でいくらでも借りられるのに、一体何のために努力する必要があるのかという根源的な)人々からやる気を失わせ、遅かれ早かれ、崩壊するほかないだろう。

 よって、シェアリングエコノミーには、相応の「対価」が伴う必要がある。

<まとめ>

 この番組を観ていてわかったこと、「新たな気づきを得られた」こと ↓

『これからの時代は、今まで存在すらしていなかった、人類にとってのまったく新しい社会「企業統治(無国家)資本主義の時代」へ変革されていくだろう。』
by Virai

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『Nスペ マネー・ワールド 第2集』の感想 [Essey]

『NHKスペシャル マネー・ワールド 資本主義の未来
 第2集 国家 vs 超巨大企業』について

 番組を観ながら、「自分になりに気づいたこと」をまとめてみました。

 すでに観終わった方向けの思い切り踏み込んだ内容なので、まだ観ていない方はご注意ください。

*「もう観た方を対象に」ということで、番組自体の内容は省略します。

*あくまで個人的な「気づき」ですので、番組内では語られていないこと、番組での解釈とは違う場合があります。

*そして、ここに書いたことが、自分と違うからって反論しないでくださいね(笑)
(人それぞれ受け取り方がありますし、何も「人と同じ考えにしなければいけない」わけではないですので(笑))

<1>
 いくつかの「スーパーグローバル企業」が、多くの中小国の国家歳入を上回り、すでに「国の規模」になっている。

 超巨大企業が「国家」を超越し、国家を凌ぐ、より優れた「企業統治」が始まっている。

 つまり、これまでの「国家」より、「優秀な経営者が行う企業統治」の方が、人々を豊かに、幸せにできる時代が来た。

<2>
 優れた経営者による「企業統治」が「国家を上回る」ことにより、もう、低レベルで無能な「政治家」たち、政府、官僚、自治体が「統治」する時代は、終わった。

 ヒラリーやトランプ、メルケルやオランドなんかに「統治」されるより、はるかに、圧倒的に優れた「経営者が行う統治」の方が、よほど良いのは、あまりにも当たり前のこと。

 日本にしても、安倍首相なんかより、稲盛和夫さんや豊田章男さんに「日本を経営」してもらった方が、はるかに「良い世の中になる」のは間違いない。

 ようやく人類は、不要となった「国家」を解体し、「企業単位」の国家の代替(置き換え)、「企業統治による世界平和」の道へ歩み出した。

<3>
 「国家を上回る企業」が、無知無能な「政治家」たちが統治する国を相手に訴訟を起こし、次々に勝訴し、巨額を得ている。

 無能な「政治家」たちのせいで、片っ端から敗訴したエクアドルでは、年間国家歳入額の半分が、いくつかの超巨大企業に支払われ、財政危機に陥っている。

 半分もの国家予算が消失したため、公共コストが削られ、社会保障費の支払いがストップし、住民の生活が窮地に陥っている。

 無能な「政治家たちに統治される住民の悲劇」の典型。

 実は「TPP」も、日本の無能な「政治家たち」のアクションによっては、超巨大企業が日本相手に訴訟を起こし、日本の国家予算から、巨額を回収するしくみ(リスク回避策)が組み込まれてある。

 当のアメリカでは、とっくに「TPPは否定」されているのに、日本で今「TPPに賛成」と言っている「政治家」たちの(恐ろしくなるほどの)無能さ、マヌケさ。

<まとめ>
 この番組を観ていてわかったこと、「新たな気づきを得られた」こと ↓

『今や国家など不要。優秀な経営者による企業統治の時代が来た。

 国籍も、人種も、国境も、関係ない。愛国心も不要。

 国家が消失すれば、戦争を起こす理由も失う。

 経済性を優先する「企業統治」において、経済的マイナスの塊「戦争」を起こすような(今の政治家たちのような)無能な経営者は排除される。』

by Virai

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