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評価と評判について考える [Essey]

 通常、何かを「評価する」には、いくつかの評価軸と、多数の評価項目によって詳細に分析し、その結果としてアプトプットすることで行われます。

 ところが、そのような発想や思考がなく、ただなんとなく、例えば「世間の評判」的な、根拠のない「噂話」程度で、評価してしまう人を多数見かけます。

 そのような、実際の価値の実体が伴わない「印象操作」のみで作られたブランドは、考えが浅い人が魅了される「幻覚」に過ぎないですね。

 それは「ブランド・ファンタジー」であって、真の、実体が伴ったブランドとは異なります。

 そのような偽ブランドは、「小手先のごまかし」に過ぎず、深い思考を持った人には、簡単に見破れます。

 とてもわかりやすい例を出すなら、インチキ通販にありがちな「タレントの△△さんも長年のご愛用者です」といったものですね(笑)

 その商品(その会社)と利害関係がないと思われそうな人が、その商品を評価していると聞かされると、思考の浅い人はその評価を信じてしまいたくなることを、行動心理学では「ウィンザー効果」と言います。

 購入しようと検討している商品に対して知識がない、調べている時間がないなどの理由で、本来の購入理由が決定打とならない場合、人は他の人に同調しようとします。

 自分自身の評価軸を放棄し、「あの人も、この人も使っているから大丈夫だろう」といった安心感を得たいわけです。

 特に日本人は横並びを好むため、「とにかく多くの人が使っているものを購入しておけばハズレを引くことはないだろう」と考える人が大多数です。

 これを行動心理学では、「同調現象」と言います。

 また、専門分野に話題が及ぶと、必ず現れるのが「その道の権威者」です。

 取り扱う商品がサプリメントであったり、化粧品であったりした場合、含有成分を解説する際に「△△大学の教授」の意見など、専門家のコメントを添えることで、「権威ある人が言っているのだから」という心理だけで、購入を促すことに成功します。

 通常は、価格帯が上昇するほど需要が減るものですが、それに逆らい、ステイタスを顕示したい心理で購入される商品(≒ブランド品)は、実際の価値を大きく上回る消費行動を起こします。

 これを、行動心理学では「ヴェブレン効果」と言います。

 世の中には、このような行動心理学を悪用した商品、偽ブランドが溢れている、ということを認識できている人は、意外と少ないのかもしれません。

 そのような姿勢は、「思考の浅さ」と「他人の評価に左右される率」との相関性が認められるように思われます。

 つまり、思考の浅い人ほど、他人の評価に左右されるということですね(笑)

 それは「自分の評価軸の放棄」であり、他人の(しかも、どこの誰ともわからない、なんとなくというレベルの)評価に左右されている状態に過ぎないわけです。

 真に、十分に思考が深ければ、一切の「世間的評判」を無視し、論理的な評価軸と評価項目によって、正しく判定、評価することができるようになります。

 その結果が、事前の自分の予想、期待と異なっていたとしても、自分自身の評価を直せばいいわけですから、簡単なことです(笑)

 人としての成長が不十分で、思考が未発達な人、思考が浅くて、他人の評価に左右される率が高い人は、そこでなぜか、感情的なものを持ち出し、正しい評価をひっくり返そうと試みる傾向が見て取れます。

 ロジックでは、ひっくり返らないので、感情的なものを持ち込もうとするのでしょう。

 十分に思考が深い人は、評価・分析を行うにあたって、可能な限りの偏見や個人の主観的な判断を回避し、ロジカルに、客観的な評価軸と多数の評価項目によって、評価を実施することに努めます。

 どれだけ、「世間的評判」が高かろうと、イメージだけは良かろうと、そんなものはまったく関係ありません。

 正しい評価は、ロジックに基づいた評価手法による「評価法」でのみ実施できることを理解できています。

 例えば、映画にもなった「マネー・ボール」という、大リーグのアスレチックスにおける画期的な野球選手採用手法がわかりやすいですね。

 メジャーリーグの貧乏球団・オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGM(ゼネラルマネージャ)が、セイバーメトリクスと呼ばれる独自の手法を用いて、プレーオフ常連の強豪チームを作り上げていく実話ですね。

 それまでは、「経験と直感」を頼りにスカウトをしてきた、ベテラン現場スタッフは「野球は数字じゃない」と猛反発しました。
(しかし結局、自分たちの「誤り」を思い知らされます。)

 それまで慣習的に行われてきた「選手の過去の実績やネームバリューなど」をすべて無視し、野球の勝率を上げるために必要な「要素」を列挙してデータベース化し、統計的な回帰分析から「得点期待値」というものを新たに設定し、評価・判定するという手法です。

 すると、年棒の低い、無名の選手ばかりのチームになったにも関わらず、大リーグ全球団で「最高の勝率」を記録することに成功します。

 その後も、アスレチックスの快進撃で実績を作り、すっかり有名になった選手を、他球団の有望な若手プレイヤと次々にトレードし、無名ながら活躍する選手を育て上げ続けるという手法で、常勝軍団を築き上げていきます。

 アスレチックスでの大活躍で、オールスターにも出場したトレバー・ケーヒル投手を放出し、代わりにダイヤモンドバックスの若手有望株ジャロッド・パーカーという右投手を獲得するといった手法です。

 ダイヤモンドバックス時代のパーカーは、まだ1試合しか先発していないルーキーであったのに、アスレチックスに移籍した年に13勝8敗、翌年も12勝8敗と、いきなりエースへと成長しました。

 もっと身近な、身の回りにある商品で言えば、例えば「品質に違いはない(同等な)のに、△△△というロゴが付いているだけで、割高な商品を購入する」といったことですね。

 実質的な価値に対する正しい評価軸を持たずに、ただなんとなく「高級」といったイメージ、漠然としたステータス感、世間の評判が良いから、といった程度の理由で評価してしまうということですね。

 それでは単なる「ロゴ」に、何万円も払っているだけ、だというのに(笑)

 実は世の中に溢れている、「印象操作」のみで作られた、実際の価値の実体が伴わない「ファンタジー・ブランド」に大金を貢ぐのは馬鹿馬鹿しいので、評判などに惑わされない、自分の評価軸を持つことが大切ですね。

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思考の深さを考えてみる [Essey]

 最近、多くの人が「外界からの情報刺激に対して、ただ単に感情的に反応するだけ」という状況をよく見かけます。

 ただ単に、ニュースを読むだけ、知るだけ、「腹立たしい」と反発するだけ、「へー、なるほど」と納得するだけ、の方がラクだからなのでしょう。

 本来「自分の頭で考える」ということは、なんでも鵜呑みにせず、すべてに対して疑ってかかり、必ず自ら検証し、他人とは違う「自分なりの見解」を導き出すことを言います。

 そこまでの「思考の深さ」がない場合、「浅はか」どころか、「何も考えていない」のと大差ないですね。

 哲学者ソクラテスは、真に「考える」のに必要な、すべての原点となる「無知の知」を根本的な考えとしました。

「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。
 真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる。」というやつですね。

 また、数学という「考える」ための2大学問において大きな業績を挙げ、それらの基礎を築いたのが、フランスの哲学者・数学者であるルネ・デカルトです。

 幾何学の基礎を築き、哲学上の業績して有名なのが「方法的懐疑」と。

 デカルトは、ありとあらゆるものを疑ってかかり、最後に残った「疑いようのない」ものが、疑っている「自分自身の存在」でした。

 それを表現した有名な言葉が「我思う、故に我あり」ですね。

 真に「考える」ことの基礎には、必ず「疑うことを必要とする」を代表する表現と言えます。

 すべてを疑ってかかることが、なぜ重要なのかと言えば、「自分の頭で考える」ことの対極にあるのが「他人の意見にむやみに従う」ことだからです。

 「自分の頭で考える」とは、自分なりに他人と違う見解を見出すことです。

 さも当たり前と思っていた「周りの事象」に対して疑問を提示し、本当は「どうなのか?」と、自分自身の見解として導き出すには、すべてを疑うことからしか始めようがないからです。

 今そこにある情報は、どこの誰がなんの根拠を持って発信しているのか、その情報は本当なのか。

 「正しい」「間違い」といった意見は、ほとんどの場合、絶対的なものではなく「状況による」ものがほとんどです。

 ところが、多くの人は、自分が置かれている状況が、すべての人と同じであるという錯覚をもとに、反応しがちです。

 それでは、その当人や関係者にとっては「正しいこと」でも、状況が変われば「間違い」にも十分なりうるということになります。

 ある主張をしている人が「部分しか見ていないことに気づいていない」という「自分が無知であることを自覚していない状態」に陥っている状態です。

 このようなことが多く発生する原因は、世の中の大多数の人が信じている「常識やルール」は、環境の変化によって「間違いに変化する」ことが挙げられます。

 にもかかわらず、一度、大多数に正しいと思われた常識、子どもの頃から身につけた価値観などに、固執するわけです。

 自分の「無知」を認められず、過去の古い(今では、すでに間違っている)常識やルール、価値観を、いつまでも変えられないわけです。

 いわゆる「頭の固い」(あまり物事を考えずに、1つの考えに固執する)人たちの特徴として、自分の信じている価値観を、まったく疑わないことが挙げられます。

 これでは、柔軟な発想を阻害する諸悪の根源にしかなりません。

 このような状態から抜け出すにはまず、「そうか、自分が間違っていたのか」「自分は知らなかっただけなのか」「自分が理解できていなかったのか」と、自分自身の状態を疑ってかかることから始まります。

 クリエイティブな人やイノベーションを起こせる人材は、日頃から、接する情報に対して、自分なりに加工・応用し、発想や自分の行動を錬磨するべく、内的作業をする思考のクセを身につけています。

 それは「こうかもしれない」「こういうこともありうる」と、外側の世界を自分内部の思考の枠組みに引き寄せ、その中で理解し、新たに自分で創造しようという試みでもあります。

 ブレインストーミングやディベートなども、何も他人がいなければできないわけではなく、この作業をひとりで繰り返せるのが、優秀なクリエイターやイノベーターです。

 自分の中に独力で場をつくり、その思考の場の中で、複数の違う自分を立ち上がらせながら、相互にディスカッションできる人材こそ、次々と問題解決策を思いつき、独創的なアイデアを紡いでいける思考法を身につけた人と言えますね。

「凡人が敷いたレールに、自分の思考を乗せないのが、優秀さの特徴である」
by スタンダール(フランスの小説家。本名:マリ=アンリ・ベール)

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「働くこと」を考えてみる [Essey]

 人はなぜ、働き始めたのでしょうか。「働く」とは何でしょうか。

■「働く」意味

 そもそもの語源(諸説あります)は、「傍(はた)を楽にする」で「働く」と言われます。

 自分の周辺の「傍(はた)」にいる人たちの負担を軽くしてあげる、楽にしてあげる、ことを意味し、家族を楽にすることも「働く」意味でもありました。

 そういう意味では、親から頼まれた「家の手伝い」だって「働く」ですね。

 人類の先史においては、死なないための、生存をかけた「生きるための食料を得ること(狩猟・採集)」が仕事でした。

 その時代、食糧がなくなれば、餓死するほかはありません。

 古代では、農業革命によって「食糧を作る」時代になり、農耕をすることが仕事となりました。

 集落を作り、大量の食糧を生産して、備蓄できるようになると、「食料を得る」以外の仕事(祭事(宗教)や政治、道具作り、職人、医者など)が生まれました。

 さらに生活が安定してくると、踊り子や演奏家、音楽や絵画などの芸術家、プロスポーツ選手といった職業が成立するようになります。

 現代においては、多種多様な職業を、自由に選べる時代となりました。

■「働く」ことの本質

 それらの変遷において、職業としてのカテゴリーではなく、「働く」本質には、次の4種類があることがわかります。
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1.労働
 生きるために働く労働。労働によって賃金を得ることで、食糧そのほかの生活物資を得る。

2.創造
 生きるのに必要な食糧以外の「モノ」を作る。

 人間の生活をより豊かにするような「モノ」を創造することで、その「評価」として、食糧そのほかの生活物資と交換できる「対価」を得る。

(例)車、テレビ、パソコン、モバイル、本(コンテンツ)、ソフトウェアなど、なくても生きられるし、以前にはなかったモノなど。

3.支援
 自分以外の、ほかの人を支援することで、その「報酬」として、食糧そのほかの生活物資と交換できる「対価」を得る。

 大きくは「サービス業」と言われる働き方。

(例)医者、看護師、介護士、理美容士、コンサルタント、相談員、占い師など。

4.娯楽
 人の心を豊かにする仕事。芸術、スポーツ、観光産業など。
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 ここで考えるべきは、上記1.の「生きるための労働」は、(どんな職業でも)つまらないだろうなということです。

 これは「人類の先史時代」と同じ程度の「働き方」であり、楽しさや働きがいを感じられる段階には達していないレベルですね。

 次に「2.」は、(どんな職業でも)創造性を発揮すること自体が楽しくて、やりがいを感じる人にとっては、楽しい仕事、やりがいのある仕事となり、楽しく働けることでしょう。

 「3.」も、「人を支援する」ことに喜びを感じるタイプの人であれば、楽しく働け、充実感を感じる仕事となるでしょう。

 同じく「4」も、自分にとって「人を楽しませる」ことこそ楽しい人であれば、どうやって人を楽しませるかを必死に考え、実際にそれが成功したとき、この上ない喜びを感じる仕事となるでしょう。

 ということで「働く」においては、「何ができるか」でも、「何がしたいか」でもいい、ということになります。

 どれを、どう選び、どう働くかは、本人次第ですね。

 どうせ「仕事をする」なら、しかたなく「生きるために働く」=「労働」ではなく、自分の周り「傍(はた)」にいる人たちを楽にしてあげるための「働く」でありたいものですね。

 どんな職業でも、単なる「労働」にしてしまっては、つまらない仕事、つらい仕事になることでしょう。

 どんな職業であっても、自分が「何がしたいか」「何をすると楽しいのか」で働けば、充実感のある、達成感のある仕事になるのでしょう。

■肉体労働と頭脳労働

 もう1つ、別の角度から「働く」を考えてみます。

 ここまで思考してきたように、「働く」というのは「時間の拘束」ではありません。

 もちろん「時間給」という仕事もありますが、それは多種多様な「働き方」の中の「一形態」に過ぎません。

 そして、もっとも働きがいのない「単に賃金を得るための労働」です。

 よく「肉体労働」とか「頭脳労働」といった言い方をしますが、「頭脳労働」とは、まさしく「脳の活動によって働く」ということであって、「拘束時間」は関係ないですね。

 本来の「頭脳労働」においては、単なる「労働時間」が、その対価として反映されるわけではありません。

 「頭脳労働」とは、つまり「脳の活動」=「考えている」だけなので、はたから見れば、何もしていないようにも見えることもあるかもしれません。

 コピーライターでも、デザイナーでも、設計士でも、ただ「椅子に座って腕組みをして考えている」のも「仕事」であり、働いている真っ最中なわけですね(笑)

 あるいは、作家アガサ・クリスティーが生み出した名探偵たちは、自室を出ることなく、話を聞いているだけで事件を解決してしまうので、これぞ究極の「頭脳労働」ですね(笑)

 なにしろ、ゆったりした椅子に腰をかけて、お茶を飲みながら、話を聞いているだけなのですから(笑)

 しかしながら、非常に質の高い仕事、社会的価値の高い仕事ぶりです(笑)

 もしくは、映画「ウォール街」のスーパー投資家「ゴードン・ゲッコー」(実在の世界的トレーダー「アイヴァン・ボウスキー」がモデル)も、配下の者に「アナコットスティールを買いまくれ」と、オフィス内のランニングマシンでジョギングしながら「言う」だけですね(笑)

 そして、宿敵の投資家ワイルドマンに高額で売却し、莫大な富を得ると(笑)

■思考と実行

 真の「頭脳労働」においては、何も、自分が「実行者である必要はない」ということになります。

 自分が仕事するための情報収集も、事務的作業も、実際の事務処理も、それぞれの「実行者」に頼んで、してもらえば良いわけです。

 「頭脳労働」のもっとも重要な要素は「集まった情報を整理・分析し、理解し、判断し、仮説を立て、実行を決断する」という点です。

 このような「頭脳労働」においては、「思考」こそがもっとも重要な「仕事」であり、その最高責任者が「経営者」ということになります。

 「経営者」は、実作業をする実行者ではなく、思考と判断、決断を行う「責任者」です。

 ところが、これがまったくわかっていない、全然できていない、ダメダメな経営者をたくさん見かけます(笑)

 ただ「役職が社長になっただけ」という人たちですね。

 上司から気に入られることに汲々とし、年功序列の順送りで、やっと社長になれたといった人たちは、単なる「社長の担当者」ですね(笑)

 不祥事を起こした企業の謝罪会見を、ニュースで見る度に、思わされることです。

 それでは「役職だけ社長」であって、実体は「単なる生活労働」に陥っている「労働者」に過ぎませんね(笑)

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差別意識について考えてみる [Essey]


 このところ、ミャンマーのロヒンギャに対する差別、迫害によって、何十万という難民が行く場所を失う大問題となっています。

 それらのニュースを見ながら、差別意識について考えてみた、です。

 差別する人間の心理状態は、日常の競争原理の世の中で常に順位を意識し、学歴、容姿、年齢、資産、性格、恋愛、生活環境等すべてにおいて、すぐに比べたくなるというものであり、上下関係をつけたくなる情動から生まれます。

 人と会った時、初対面ですぐに、年齢、学歴、生活環境などを聞き出そうとする人たちです。(そんなことはどうでもいいのに。)

 そうして自分で勝手に順位付けするくせに、自分の方が下だと劣等感を感じ、悔しくなり、自分より上位と感じる人に対しては、何かしらにつけて攻撃しようとします。

 また、自分よりも劣ってると思われる人に対しては、優越感を感じ、見下した態度、言動をし、差別的行動を取ろうとします。

 悪口・悪態は、自分の攻撃性を見せるための自己顕示であり、動物的な示威行動であり、下等動物的な情動行動です。

 それは、弱い自分に対する「自己防衛」反応でもあります。
 弱い自分を隠し、強く見せようとすることで、防衛しようとする虚勢です。

 真に精神的に強い人は、そのような「自己防衛」に奔走する必要がないので、他人のことなど、最初から気にしていません。

 そんなことに囚われずに生きられる人、まったく何も気にしない人には、虚しい差別意識が生じません。

 あるいは、誰かと意見が対立しても、それが当たり前と捉え、相手を無理矢理、自分の意見に従わせようとしたり、ムキになったり、感情的になったりすることがありません。

 意見とは対立する性格のものであると認識し、そのために「多数決という制度がある」と理解し、自分の意見・主張を強制しようとはしません。

 意見・考え・主張を強制されないのが、民主主義であると認識できています。

 そのように、自己理解を深めることが、人間的成長に繋がることを知っているからです。

 そして「論理的な説得」「説明による共通理解」「人に影響を与える」ことは別であることを体得できています。

 そのように自分を客観的に捉えられない人は、「自己正当化」という過剰な自己防衛反応を発動し、「怒りの情動=攻撃性」によって、自分と異なる考え・意見を攻撃しようとします。

 攻撃したところで、何も解決するわけがないのに。

 「人としての精神性」が未発達で、レベルが低過ぎます。

 白人至上主義者、人種差別主義者、宗教の狂信者、トランプ大統領、全部同じですね。


 「自分で怒りを抑えるには、他人の怒る姿を静かに観察することだ。」
by ルキウス・アンナエウス・セネカ(古代ローマ哲学者)

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性善説と性悪説について考える [Essey]

 とても誤用されやすい「性善説」と「性悪説」について考えてみた、です。

1.性善説と性悪説とは

 孟子が唱えた「性善説」は、「人間は、善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こる」という儒学の人間観に基づく説ですね。

 生まれたばかりの赤ちゃんは、完全に無垢な存在であり、その汚れなき子どもが後天的に、いろいろな悪を知っていくという。

 つまり、人は本来「善」の存在でありながら、あとから悪行も身に着けていくと。

 逆に、荀子が唱えた「性悪説」は、「人間の本性は利己的欲望であり、善の行為は後天的習得によってのみ可能」という性善説の逆説として提唱されました。

 あらゆる動物は、自分や自分たちの「種の保存」だけを考えるのが「動物的本能」であり、そのためには本来、利己行動しかとらないものだと。

 そのため、無邪気な子どもの方がより残酷であり、善悪の判断がつかないまま、利己行動しかとらないのだと。

 それはより「動物的本能」に基づく行動なのだから、当たり前なのだと。

 その後成長して、さまざまなことを学んでいく中で、物事をわきまえられるようになると。

 人は本来「本能的に利己的存在」であり、あとから「善」を知ることで、善行も行いうるという説ですね。

 物心つくまでは、「自己保存」のみであったのに、後天的な学びによって、他人を助けたり、自己犠牲をはらうといった「利他行動」をとれるようになると。

 ということで結局、「人の善悪」について、どちらを先天的に持とうと、どちらをあとから知ろうと、「人は善行も悪行も行いうる」というのは一緒ですね(笑)

 本来の意味は、性善説と性悪説は「後先の問題に過ぎない」のに、それを大きく誤用しているのをよくみかけます(笑)

 どっちの説を採用しても「人は善であり、悪でもある」わけで、人的マネジメント論としては、「善行為に対する褒美、報償」と「悪行為に対する懲罰、防止措置」が、必ず「両方必要」ということですね。

 それが、人間の根源的「本質」であると。

2.善と悪とは

 そもそも「善悪の定義」とは、何でしょうか。

 物事の善悪は、あくまで人間が作り上げたもので、普遍的な善悪などないという指摘もあります。

 その時々の人の定義に左右されない、普遍的な「善悪の定義」がないのに、何が善で、何が悪かを決めようがないと。

 あるいは、あらゆる動物の中で、人間だけが「自分を犠牲にして、他者を助ける」ことができ、これこそ「善」であるという主張があります。

 このような利他行動は、咄嗟の場合に行われるため、完全なる「善の本能」に根差しているのではないかという指摘です。

 しかし、自分を犠牲にして他者を助けるために、別の他者を害するという矛盾が発生する場合もあります。

 例えば、自分の子どもを守るために、暴漢と差し違えた場合などです。
 自分の子どもは助かったでしょうが、相手は刺し殺されても構わないのかという矛盾ですね。

 そのような「争うこと自体が悪」であり、「調和を保つことこそ善」というのも絶対的ではなく、時と場合によります。

 同じ種で、殺し合うのも、人間の道徳的規範では悪とされているに過ぎず、「自然の摂理」という観点では、それが善か悪かは誰にもわからないという指摘もあります。

 増え過ぎた「種の整理」(人口爆発によるエネルギーや食糧の問題)かもしれないし、強者を残し、弱者を排除する「種の保存」的本能なのかもしれません。

 このように「善と悪」は、裏表でもあり、両輪でもあり、相対的なものでもあります。

 時と場合によって、「誰かのための善は、誰かにとって悪」であったり、その逆だったりもします。

 それらの事象自体には本来、善も悪もないということになります。

3.ニーチェの考察

 ニーチェは、著書『善悪の彼岸』の中で、人々が、盲目的に正しいと信じてきた道徳感、キリスト教を初めとしたあらゆる宗教が「善」としてきた道徳を、世界で初めて完全否定しました。

 キリスト教を中心とする、伝統的道徳における善悪の規準をひっくり返し、善悪の観念を超えた無垢な人間像「Unschuld」を追求し、新たな「生の肯定と結びつく」道徳を樹立しようとしました。

 ニーチェは、続く著作『道徳の系譜』で、序言と3つの論文構成により、人々のキリスト教的な道徳上の「先入感の転覆」を目指しました。

 ニーチェの著作の中でも、最も直接的な叙述が展開され、確固たる明敏さと力強さを備えた代表作とされています。

 ニーチェは、それまで「善悪」とされてきた概念を、単なる「信仰」「こうあって欲しいという願望に過ぎない」と一刀両断します。

 私たちは善悪の基準というものを持っていないし、自分の損得や欲得で判断しているに過ぎず、自分に都合のいいものが善で、都合の悪いものは悪とみなしているに過ぎないと。

 宗教的な善悪や社会の伝統的な善悪といったものは、それが本当に正しいのかどうかは誰にもわからないし、何が正しくて、何が正しくないかは、時代や環境によってどうにでも変わってしまうと。

 ニーチェは、当時の世間の常識、善悪の基準とされていたキリスト教的な道徳がいかに薄っぺらなものであるかを見破り、『善悪の彼岸』で徹底的な批判を展開します。

 「善悪の彼岸」とは、善悪の判断の向こう側、つまり「善悪を超えた領域」という意味となっています。

 ニーチェは、例えば、愛する人を守るために嘘をつくことも、愛しいわが子を飢えさせないために食べ物を盗むことも、「(薄っぺらな)善悪の判断を超える行為」としました。

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 「力の強い者と力の弱い者が存在し、力の強い者が弱い者を支配し、侵略や搾取をする、力の弱い者はそれに従わざるを得ない。」

 「でも人間はそれが悔しいから、心の中で、強者が力をふるうことを悪とし、自分が力を振るわないことを善と捉え返して、道徳的優位に立とうする。」

 「弱者の生み出す道徳は、ニヒリズムを含んだ衰退の徴候だ。」

 「道徳的現象なるものは存在しない。あるのはただ、現象の道徳的解釈だけである。」

by フリードリヒ・ニーチェ
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貨幣経済と金融支配体制を考える<6> [Essey]

 前回の「貨幣経済と金融支配体制を考える<5>」の続きです。

7.ブロックチェーンによる仮想通貨の誕生

(1)通貨発行権を脅かすビットコイン
 「サトシ・ナカモト」が発明者とされる「ブロックチェーン」「ビットコイン」は、分散型台帳なので、誰か強力な支配力を持っている特定の管理者が統合的に管理することを拒む性質を持っています。

 つまり、中央集権に対する反権力志向に基づいています。

 それで、日本人名前でありながら、本当に実在するのか、いったいどこの誰なのかさえわからない謎の人物とされているのでしょう。(名乗り出ることは、これまでの歴史のとおり、命の危険を伴います。)

 この革命的なしくみは、ロスチャイルドを中心とする国際金融権力にしてみれば、虎の子の「通貨発行権」を失いかねない、非常に危険なシステムです。

 そこで当初、世界的規模での「ビットコインに対するイメージ・信頼性の低下」につながる印象操作・プロパガンダが多数展開されました。

 しかし、ブロックチェーン技術は、これまでの中央集権型の銀行のシステムと違って分散型であり、管理者を一人も必要とせず、大規模なハッキングに遭っても、ブロックチェーン自体は何も影響されません。

 国際金融権力がよくやる「いつもの印象操作」程度では止めることなどできず、世界中にしっかりと浸透していきました。

 そこで国際金融権力は、今度は仮想通貨市場への参入へと、方針転換します。

(2)国際金融権力の仮想通貨対策
 ロックフェラー系投資銀行であるJPモルガンは、マイクロソフトと組み、「契約に使える仮想通貨」という触れ込みで、新たな仮想通貨「イーサリアム」を開発します。

*これを不服として、もともとのコミュニティが、イーサリアムを分裂させて誕生したのが「イーサリアムクラシック」です。
 「イーサリアムクラシック」は、ビットコインと同様、中央管理者を持たない本来の分散型システムとしての理念に基づき、市民に「通貨発行権」を取り戻せる仮想通貨です。

 中央集権的に「通貨発行権」を死守しようとするイーサリアム(アライアンス)の初期発行枚数は7200万枚で、そのうち1200万枚は、開発者側の取り分となっています。

 ビットコインとは異なるのは、新規発行枚数の上限がなく、2017年6月現在、イーサリアムの発行枚数は、8930万枚を超えています。

 また、中央銀行から仮想通貨を発行させることに方針転換し、ロスチャイルド傘下のシンクタンクから、
「2017年末までに、世界の約80%の銀行がブロックチェーン関連のプロジェクトをスタートさせるものと考えている。

 そして、世界の90か国の中央銀行が、ブロックチェーンのリサーチを開始し、24か国の政府が、すでにブロックチェーンへの投資を行っている。」
と報告させます。

 国際通貨基金(IMF)と世界銀行、そして世界中の中央銀行をコントロールしているロスチャイルドの国際決済銀行(BIS)は、ビットコインとその他のクリプトカレンシー(暗号通貨)、そして、ブロックチェーンを応用した銀行・証券・保険セクターにおける取引のすべてを掌握すべく動き始めます。

 イギリスの中央銀行であるイングランド銀行は、独自の仮想通貨「RSコイン」の発行を開始しました。

 ビットコインは、プロトコルによって通貨供給量に制限が定められていますが、「RSCoin」では、「スペシャル・キー」と呼ばれる通貨供給量の制御など、特殊な権限を付加させています。

 「RSCoin」は、ビットコインと同種のように喧伝されていますが、パブリックなブロックチェーンではないので、実は、民間企業発行のゲーム内通貨やポイント通貨と同様、デジタル通貨の1種に過ぎません。

 将来的に、無国籍のビットコインのような仮想通貨、民間発行の各種仮想通貨、政府発行のデジタル通貨の3つが覇を競うことになりそうです。


 これ以上書くと、自分自身が抹殺されかねないので、このぐらいにしておきます(笑)
※念のため、ここに書いたことは、事実に基づいてはいますが、各種の状況証拠からの類推に過ぎません。

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貨幣経済と金融支配体制を考える<5> [Essey]

 前回の「貨幣経済と金融支配体制を考える<4>」の続きです。

6.世界コントロール体制の確立

(1)国際連合の設立
 戦後、設立された国際連合の本部ビルは、米・ニューヨーク、ロックフェラー財閥の所有地に建てられました。

 国連の主要ポストは、ロスチャイルド財閥の人脈(血縁者)とロックフェラー財閥関係者で占められました。

 こうして、世界約200か国をコントロールする実権を握り、まとめて支配する体制を作り上げました。

(2)核開発技術の販売と均衡戦略
 国連によって世界支配体制を確立すると、各国に、勝手に戦争を起こさせないよう、アメリカのロックフェラー財閥配下にある外交問題評議会(CFR)のメンバーのハリー・ホプキンス(ルーズベルト政権下では大統領主席補佐官)が、意図的にソ連に原爆技術を移転しました。

 アメリカからソ連への核開発技術の輸出に続き、イギリスとフランスへ、そしてソ連から中国へと、5大常任理事国に核が計画的に分配されました。

 さらに水爆も、ひととおり5大国に配備されました。

 その後、核開発技術は、中国からインドとパキスタンへ、そしてアメリカからイスラエルへと輸出されていきました。

 もちろん、原爆・水爆を製造するには、国際金融権力が所有するウランなどの鉱物資源・原料を、巨費で買わされます。

 そして「原子力の平和利用」を喧伝した原子力発電により、核爆弾を持たない国も、巨費でウランなどを買わされます。

 日本は、憲法で「戦力は持たない」としているにも関わらず、憲法「解釈の変更」というトリックで、今や毎年、5兆円以上もの防衛予算を組んで、武器・兵器を買わされています。

 どれだけ増税しても、社会保障費を削られても、防衛予算が削られることはありません。

 世論を抑えるため、定期的に防衛力の必要性を主張できるような「危機」(例えば領空侵犯など)を演出します。

 そうして通常兵器に加え、さらに巨費のイージス艦、ステルス機などを買わされます。

(3)中小規模戦争による稼ぎ
 世界大戦以降、中小規模の戦争で稼ぐようになり、国連平和維持軍(PKO)を派遣しながら、カンボジア・ユーゴスラビア・ルワンダなどの紛争当事国へは武器密輸をするという、相変わらずの「両サイドから儲ける作戦」を継続していきます。

 あるいは「テロとの戦争」と銘打って、ロスチャイルド財閥の支配する「中央銀行がない国」の「アフガニスタン」「イラク」「イラン」を標的にして、適当な攻撃理由を作っては、武器・兵器を消費させ、莫大な戦費(人々の税金)を吸い上げていきます。

 アルカイダやイスラム国にも、資金・武器・兵器を提供しながら、国連軍でも攻撃するという「両サイド」商法です。

 オサマ・ビン・ラディンの一族は、ブッシュ大統領の一族と、30年来のビジネスパートナーであり、ビン・ラディン一族とブッシュ家は石油会社を共同経営していました。

 ビンラディン一族は、ブッシュ家の仲立ちでアメリカの誇る大手軍需産業・カーライルグループに巨額の投資をしており、アフガン侵攻・イラク戦争などの「対テロ戦争」で莫大な利益を上げていました。

(4)世界平和や反戦ムードの阻止
 世界平和や反戦ムードが盛り上がると、戦争で稼げなくなってしまうので、戦争がなくならないよう、さまざまな手も打ちます。

 例えば、ジョン・レノンは、平和や反戦のメッセージを込めた歌を発表し続け、「イマジン」は世界的に大きな反響を得ました。

 一気に「世界平和」「戦争反対」ムードが世界的に盛り上がると、荒稼ぎに支障が出ることから、「イマジン」は英国、米国とも、放送禁止となります。

 この、いきなりの、理由なき「放送禁止」に怒ったジョン・レノンが、「世界は狂人によって支配されている」「次のラジオ番組で、すべて暴露する」と発言すると、その直後に暗殺されて(マーク・チャップマンが射殺)しまいます。


 続きは、Part6へ。


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貨幣経済と金融支配体制を考える<4> [Essey]

 前回の「貨幣経済と金融支配体制を考える<3>」の続きです。

5.世界戦争による荒稼ぎ

(1)ロスチャイルドの「両方の国から搾り取る」戦略
 ロスチャイルドを中心とする国際金融権力は、第一次世界大戦でも、第二次世界大戦でも、戦争当事国の両方に莫大な戦費を貸し付け、その貸し付けた戦費で、自分たちの会社から石油、武器、兵器を買わせ、莫大な利益を上げるという方式を取り続けます。

 例えば、ヒトラーの支援では、ロスチャイルドから意向を受けた、ロックフェラー傘下のスタンダードオイル社が石油を提供し、アメリカのプレスコット・ブッシュ(ブッシュ元大統領の祖父)が戦費を提供しました。

 国際金融権力の意向を汲んだ政治家が、戦争当事国である両国に配され、戦争に必要な「資金と武器」などの莫大な「戦費」が貸し付けられます。

 このように、近代以降に起きた世界中の戦争はすべて、ロスチャイルドを中心とする国際金融権力によって、用意周到に立案され、意図的に起こされてきたと考えられます。

(2)アメリカの参戦計画
 真珠湾攻撃当時の米大統領ルーズベルトは、不景気だったアメリカをニューディール政策で持ち直すことができず、経済不況を打開するには戦争しかないと考えていました。

 それまで、戦争に反対だったアメリカ国民を戦争に駆り立てるため、日本からの先制攻撃がどうしても必要でした。

 日本側の真珠湾攻撃の首謀者にさせられる山本五十六・連合艦隊司令長官は、以前ハーバード大学に留学し、駐米武官などの滞米経験もあり、大の親米派でした。

 戦前の山本五十六は、近衛首相に「初めの半年や1年の間は暴れられても、2年、3年となれば、まったく確信は持てないので、できれば日米開戦は回避してほしい。」と伝えていました。

 ところが急に、軍の上層部全員が反対する中、強引に真珠湾攻撃を決行し、先制攻撃をしながら、決定打を打たずに退却という不審な行動を取ります。

 このような豹変ぶりは、大の親米派として、アメリカの意向に従ったと考えるのが自然です。

(3)原子爆弾の開発
 原子爆弾の開発には、ロスチャイルドとロックフェラーが、20兆円とも言われる莫大な資金を提供していました。

 原子爆弾の原料であるウランは、戦前からロスチャイルド系所有のアフリカのウラン鉱山から採掘され、そのほかのウラン鉱山も「国際金融権力」が独占しています。

 原子爆弾の脅威を全世界に圧倒的な力として見せつけ、まだ自分たちの支配化にない国々も完全な支配下に置くために、原爆・水爆を投下させ、戦争が終結となりました。

(4)原子力エネルギーの平和利用という喧伝
 石油に続いて、ロスチャイルド・ロックフェラーの独壇場である原子力エネルギーも、「二酸化炭素を出さないクリーン・エネルギー」として、世界中に推進されていきます。

 被爆国である日本までが、原子力発電所を作らされ、莫大な国費(税金)が「国際金融権力」に支払われ続けるしくみが作られます。


 続きは、Part5へ。


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貨幣経済と金融支配体制を考える<3> [Essey]

 前回の「貨幣経済と金融支配体制を考える<2>」の続きです。

4.日本における金融支配体制の確立

(1)日本への侵略
 日本の明治維新においても、坂本龍馬の背後には、イギリスの武器商人トーマス・グラバーの存在がありました。

 グラバーは、ロスチャイルド財閥の系列会社であったマセソン商会の社員として中国の上海に派遣され、その後、日本代理人として長崎に赴任し、グラバー商会を設立します。

 来日当初こそ、生糸や茶の卸売をしていたものの、幕末の混乱に着目して薩摩・土佐藩士など倒幕派を相手に、武器や弾薬を売り始めます。

 当時、幕府に敵対していた長州藩は、幕府から「長崎のグラバーから武器を買うこと」を禁じられていました。

 そこで龍馬は、グラバーから分けてもらった武器を「薩摩藩名義」で長州に流すことで、両者を和解させることに成功します。

 この動きも、グラバーの「龍馬を使って薩長を結びつけ、両藩を支援して幕府を転覆させる」という計画に基づくものでした。

 実は、それ以前にグラバーは、薩摩藩の五代友厚や長州藩士の伊藤博文など、当時敵対していたとされる両者を、ともに「イギリス留学」を斡旋し、現地で交流させていました。

 つまり、龍馬が両者をつなぐ前に、グラバーの仲介によって、イギリスですでに薩摩と長州は結びついていたわけです。

(2)明治維新となる反政府勢力の育成
 グラバーの手引きによって、イギリスに密航留学した「長州藩の5人」の若者たちは「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれました。

 今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのは、グラバーが勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンでした。

 マセソン商会は、ネイサン・ロスチャイルドの息子である、ライオネル・ロスチャイルドが設立させた会社です。

 ロスチャイルド系列のマセソンに、かわいがってもらった5人の若者たちは、日本に戻って、ロスチャイルド系財閥から支援された膨大な武器・弾薬で明治新政府を樹立し、日本の最高指導者たちとなります。

 こうして、ロスチャイルド財閥の計画通りに、明治の日本政府が作られました。

(3)その後のロスチャイルド戦略
 「戊辰戦争」は、英のロスチャイルド財閥と仏のロスチャイルド財閥が、それぞれの側について、薩長倒幕勢力と江戸幕府の両方に、莫大な資金と武器を貸し出します。

 そうして両者を戦わせ、どちらが勝っても、日本の支配権と莫大な利益を手に入れる計画です。

 こうして国際金融権力が、支援した子飼いの者たちに明治政府を作らせた後、今度は、外国と戦わせたのが「日露戦争」です。

 当時、大国ロシアはまだ、自分たちの支配下になかったので、ここまで育て上げてきた日本と戦わせることで、弱体化させることを狙った戦争です。

 日本は、この「ロスチャイルド家のための代理戦争」の戦費を、ロスチャイルド財閥から調達するために、日本国民に増税に次ぐ増税を課しました。

 それでも足りずに、国債まで強制的に国民に買わせます。国家予算で軍事費の占める割合が51%を超えるという異常さです。

 それでもなお、戦費の調達に困っていた当時の日本銀行副総裁、高橋是清は日本の国債を外国に買ってもらうために、イギリス・アメリカへと渡ります。

 アメリカでは、ロスチャイルド家と血縁関係にある大財閥ジェイコブ・シフから500万ポンドの日本国債を買ってもらいます。

 もちろん戦後、利子をつけて返さなければなりません。

 イギリスにおいては、ロスチャイルド支配下の銀行団からも500万ポンドを借り、その後、さらにロスチャイルド本家からも追加融資を受けています。


 続きは、Part4へ。


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貨幣経済と金融支配体制を考える<2> [Essey]

 前回の「貨幣経済と金融支配体制を考える<1>」の続きです。

3.通貨発行権とグルーバル支配体制の確立

(1)各国の「通貨発行権」の独占
 各国に、中央銀行がありますが、いずれも政府の機関ではなく、株式会社となっています。

 ロスチャイルド一族は、1815年にイギリスの中央銀行であるイングランド銀行を支配下に置き、1913年には、アメリカ連邦準備制度(FRB:アメリカの中央銀行)を支配下に置きます。

 各国の中央銀行は、自国の通貨を発行し、利子をつけて政府に貸し付ける機関であり、銀行家が「国にお金を貸し付ける」ためのしくみです。

 ポンドも、ドルも、「通貨発行権」は、ロスチャイルド一族(一部はロックフェラー家・モルガン家)が所有し、国の政府に貸し付けています。

 日本の中央銀行である「日本銀行」も、その株式の55%は政府が所有することになっていますが、残りの45%の所有者は非公開とされ、おそらくロスチャイルド系が所有していると推測されます。

 各国から、莫大な利子を取り続けられるように、各国の財政はすべて「借金漬け」にさせられます。

 日本の国家財政も、巨額赤字の罠にはめられています。

(2)世界的な支配体制の確立
 歴代アメリカ大統領のうち、「通貨発行権」を政府に取り戻そうとした6名は、すべて任期中に暗殺もしくは暗殺未遂となっています。

 7人目の犠牲者となったケネディ大統領は、初めて1963年6月に「通貨発行権」を国に取り戻し、アメリカ合衆国政府が発行する「ケネディ・ドル」を流通させようとする直前に暗殺されます。

 「通貨利権」に加えて、「石油利権」をも完全に抑えた「支配的国際金融マフィア」たちは、石油由来の原料となるプラスチック、建材、農薬、食品添加物、医薬の大量生産・販売を推進していきます。

 従来の自然物(石、粘土、木、陶器など)を巧妙に、なんでも「石油由来原料」に置き換えさせていき、「石油なしには考えられない生活」を世界中に構築していきます。

 また本来、不必要なはずの食品生産・加工現場にまで、石油を原料とした農薬・食品添加物を開発し、大量に混入させ、売りまくります。

 人間に害のある化学物質である石油由来の農薬・食品添加物を、半ば強制的に大量摂取させられることで、人々の健康を害し、石油由来の医薬品も売りまくります。

 世界各国の医療も、より多くの医薬品を売りまくれる制度に、変更させていきます。

 日本においても、「医薬品だけを売れば売るほど、医療業界が儲かる制度」に変えさせ、もはや「高額な薬を買うために病院に行くようなもの」と化しました。


 続きは、Part3へ。

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